飛行機の墜落後、飢えをしのぐため究極の手段を取った生存者たち

人間の生存本能には、いつの時代も人々を驚嘆させるほどの力を持っています。すべての希望が絶たれたと思われるような状況にあればあるほど、人は内なる強さを発揮し、困難を乗り越えていくのです。 ウルグアイに暮らすカルロス・パエスが体験したのはまさにそんな極限の状況でした。彼は1972年、その後の彼の人生を一変させるほどの出来事に巻き込まれることになります。

その年の秋、チリでの練習試合を予定していたウルグアイのラグビーチームを乗せた飛行機が、アンデス山脈の上空を飛行していました。「オールド・クリスチャンズ」と名付けられたこのチームには、カルロスもまたメンバーとして参加していたのです。彼らを乗せた飛行機は、山脈の上空で乱気流に突入します。乗っていた若いメンバーは「このまま墜落するんじゃないか?」などとジョークを飛ばしていたそうですが、果たして彼らの笑い声をかき消すような出来事が彼らを襲うことになるのです。

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飛行機は激しく揺れ続け、状況は深刻なものになりつつありました。機長は必死で悪天候の中操縦を続けましたが、やがて期待は少しずつ高度を下げていきます。そして窓の外では飛行機の翼が山肌をかすめるほどに接近していることが見て取れるようになり、乗客はパニック状態になっていきます。

このとき、パイロットは究極の状況に追い込まれていました。厚い霧を抜けて視界が開けたと思った次の瞬間、機長は飛行機が山頂へ向かって一直線に飛んでいたことに気づいたそうです。彼は最も衝撃の激しい正面衝突を避けようと何とか機体を立て直しますが、結局後ろの尾翼の一部が山に激突し、機体は大きく損傷してしまったのです。

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この激突により機体の後ろの部分に巨大な穴が開いてしまい、そこから空に投げ出される形となった5名の乗客が命を落としました。この時点で飛行機は完全にコントロールを失っており、やがて残りの翼も吹き飛ばされ、それに巻き込まれる形でさらに2名の乗客が機体から放り出されてしまったそうです。そして翼を失った機体はそのまま雪の中へと突っ込み、山肌を滑るようにして落ちていきます。やがて機体は巨大な雪だまりに埋もれるようにして、ようやく止まったそうです。

墜落の衝撃で、一部の乗客は怪我を負っていました。しかし驚くべきことに、シートベルトと椅子のクッションに救われたのか、ほとんどの乗客が無傷の状態だったそうです。一方パイロットについては、2名いたうちの1名は激突の衝撃で命を落とし、もう1名も瀕死の怪我を負っていました。もう助からないと悟っていたパイロットは、あまりの怪我の激痛もあって早く楽にしてほしいと他の乗客たちに懇願していたということですが、結局翌日息を引き取ったそうです。

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結局、全部で45名いた乗客のうち13名が墜落の衝撃で亡くなり、翌日までにさらに5名が息を引き取りました。残された27人の生存者たちは、高度3600メートルを超える山の上で、零下42度にもなる究極の寒さの中、必死に生き延びる道を探ることになります。彼らは機体をシェルター代わりにし、機内の内装部分を剥がしてブランケットを作り、皆でそれにくるまって暖を取りました。また彼らはバッテリー式のラジオを発見し、それを使って飛行機墜落事故を伝えるニュースを聞くことができたそうです。しかし、これが結果的に生存者たちの望みを絶つことになってしまいます。山の上でサバイバル生活を送るようになって11日が経った頃、生存者の捜索が打ち切られたという報道が彼らの耳に飛び込んできたからです。

事故から16日目、運命は更なる苦難を彼らに課すことになります。生存者たちがシェルターとして使用していた飛行機の機体に雪崩が襲い掛かり、機体が雪に埋もれてしまったのです。このとき、8名が雪崩に巻き込まれ、窒息死してしまったといいます。またその後1か月半ほどの期間の間に、怪我からくる感染症によりさらに3名が命を落としました。そして、何とか生き延び続けていた乗客たちにも恐怖が忍び寄ります。彼らが何とか食べつないできた食料が底をつきかけていたのです。

それまで彼らは、飛行機の中に残されていた食料を皆で少しずつ分けながらなんとか飢えをしのいできましたが、食料の残りは確実に減り続けていました。カルロスはこのときのことを思い返し、こう話します。「10日間の間に僕が口にしたのは、チョコレートのかけらが10粒と、食用の貝の缶詰だけだった。もうそれ以外には食べるものが何もなかったんだ。そのとき、僕の友人がこう言いだした。『俺、あのパイロットを食べるよ』ってね」

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食料はもう間もなく底をつき、他に食べられるものが見つかるような状況でもありません。天候はずっと荒れ模様が続いており、墜落地点から遠くへ移動できる見込みもありませんでした。極限の飢えと渇きに直面していた彼らには、もはや他の選択肢は残されていませんでした。彼らはついに死亡した乗客たちの肉を食べることを決めたのです。彼らはまず、いくつかの簡単なルールを定めました。まず、女性の遺体は食べないこと。そして、子供を連れた人の遺体は食べないこと。人を食べるというおぞましい選択肢を迫られた彼らでしたが、少なくとも文明的な考え方は失いたくないと考えたのです。

そうして山の上での生活も72日を数えるようになった頃、ついに彼らは行動を起こそうと決意します。生存者のほとんどはかなり弱っており、山を下りるほどの体力は残っていませんでした。しかし、体力的に比較的余裕のあった一部は、山を下りて助けを呼んでくることができると考えたのです。そしてそれから10日後、彼らは何とかチリとの国境付近へとたどり着きます。そして、待ちに待った光景が彼らの目に飛び込んできました。彼らの目の前を流れる川の向こう岸に、こちらに向かって歩いてくる男性の姿を目にしたのです。すぐに男性はこちらに気づいたようですが、彼らが力の限り叫んでも男性にはこちらの声が届きません。彼らを隔てる川は幅もあって深さもあるように見え、とても越えられるようなものでもありません。そこで男性はペンを取り出し、紙にメッセージを書いて、それを近くにあった石に結び付けて生存者たちの近くまで投げてよこしました。しばらくして生存者たちから投げ返された石を拾った男性は、そこに括り付けられている紙を開いて読み始めます…

「私は山の上に墜落した飛行機からやってきました。私はウルグアイ人です。私たちは10日間をかけて歩いてここまで来ました。山の上にはまだ怪我をして残っている友人たちがいます。飛行機の近くに、負傷者が14人です。今すぐ町にたどり着きたいのですが、どうやって行けばいいのかわかりません。食べ物もありません。救助はいつ来ますか?私たちはもう歩くこともできないので、どうかお願いします。ここはどこですか?」

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男性は携帯していた何切れかのパンとチーズを彼らに投げてよこし、そのままカラビネロス(チリの警察の別名)に通報に向かいました。チリ警察はまず、助けを求めて山を下りてきた生存者2人を保護し、さらにこの情報が本部へ伝わると、直ちに救助隊を結成して山に捜索に向かいました。そしてその3日後、救助隊はこちらに向かって叫んだり歓声を上げたりしているグループを発見します。彼らの悪夢はようやく終わりを告げたのです。

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救助隊が現場に到着したとき、隊員たちはすぐに近くに転がっていた食べかけの死体に気づいたそうです。救助された人々は正直に、人の肉を食べてしまったことについて告白したといいます。彼らは自分たちが犯してしまった行為について非難を受けることを覚悟していたといいますが、彼らにとって驚くべきことに、食べられてしまった犠牲者の家族を含め誰も彼らを責めることはなかったそうです。彼らは生き延びるためにやらねばならないことをやっただけに過ぎないということを、誰もが理解していたのです。

facebook/FIVS

この物語は、生きたいと願う人々の意志がどれほど強いかを表す究極の例と言えるのではないでしょうか。「すべてを失い、愛する人すら失ったとしても、生きるための努力をせずにただ死んでいくなんてことは絶対にない。たとえどんな状況でも私たちの意志を打ち破ることはできないんだ」とカルロスが後に語っていますが、まさにその通りですね。荒涼とした山の上で、寒さの中で死と直面した彼らが、生き延びるためにやむを得ず行った行為は、もしかするとカルロスや他の生存者たちを一生苦しめることになるかもしれません。しかし、それでも彼らは今生きているのです。そして、このような極限の状況を潜り抜けてきた彼らを責めることができることなど、恐らく誰にもできないでしょう。

 

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